ロバート・リー銅像撤去をめぐって

Category : いにしえのバージニア

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( こちら のサイトより拝借しました)
(収納してある中から 筆者が撮影して写真が見つかり次第 差し替えます)

🐎

七日の新聞サイトの或る見出し、
シャーロッツヴィルでケー・ケー・ケーによる
大会が行われる、 というニュースに 思わず目を疑った

同市はバージニア州にある田園都市だ

トーマス・ジェファーソン大統領が創設した名門の州立大学、
University of Virginia のある大学町で
女優のシシー・スペイセクや、 離婚前のベン・アフレック夫妻、
ベストセラー作家、ジョン・グリシャム・・・
など文化人たちも住む風光明媚な地でもある

バージニア州は南部という土地柄 保守派が多かったのだが
ワシントンDCに1時間という近さもあって 
比較的リベラルな住民が多いと聞いていた

読んでみて、 「何故この街で?」 
という最初のクエスチョン・マークに答えた出た

市内にあるロバート・E・リー銅像が取り外されることになった
それに反対するグループの集会だという

今でも南部では南軍旗を掲げたり強い拘りを示す人たちがいる

リー像はそうした人たちの象徴、 南部プライドなのであろう

が リーは、 というと
元々バージニアが連邦より脱退しないことを望んでいた人物

それが現実となった際は苦悶したと伝えられている

結果、 バージニアに対する郷土愛から南部を選びはしたが、
かならずしも 同将軍の支持者は
リーの実像や心理を理解してるようには思えない

むしろ見当違いにみえるし 自分たちの都合の良いように
リーの銅像撤去というイベントを利用して
自己主張してるかのようにみえるのだ



・・ 投稿しようと考えてるところへ 今朝のCNNが
この件のニュースをアップデートしていた

英文ですが こちら です

それによると・・
集会にはケー・ケー・ケーの集団は支援者を含めて50人

が 反対する人たちの数が上回ってが
なんと数百名もいたとのことだった

さもありなん。。。

(七月九日 記)


テーマ : アメリカ合衆国
ジャンル : 海外情報

七月四日 - 独立記念日

Category : いにしえのバージニアン達
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(ジェファーソン邸 - モンティチェロ)


この日 建国の父と呼ばれた独立革命に貢献した
リーダー達の最後のふたりが亡くなった

奇しくも独立宣言の五十周年記念日であった

ひとりは第二代大統領 ジョン・アダムズ

そしてもうひとりは当地バージニア出身の
トーマス・ジェファーソン、 第三代大統領だ

このふたりは互いに革命を目指す同士、
強い友情で結ばれていたのだが
次第に政策など考え方のギャップが増し対立するようになり
長年 疎遠になっていた

晩年になり ふたりは再び手紙での交信を始めるが
これを取り持ったのは アダムズ夫人とも言われている

ジョン・アダムズが息を引き取る際
「Thomas Jefferson still survives」
と言ったといわれる

・・ が当のジェファーソンはその5時間前に
モンティチェロの私邸で亡くなっていた

1826年、 7月4日の事であった


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ジャンル : 海外情報

リッチモンド市の和解記念碑

Category : バージニアの黒人達の場合


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英国のリバプールといえば ビートルズのメンバー生誕の地
として知られているが
かつて奴隷貿易が行われた地であることを知ってる人は
多くないのでは。。。

アフリカのベナンと リバプール市、 そしてアメリカのリッチモンド市は
18世紀 奴隷貿易トライアングルと呼ばれた三地点だった


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👆 写真は こちら から拝借しました 👆


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ベナンから積荷として運搬!されて来た人たちは 
リッチモンドで降ろされた後 競売にかけられ 
奴隷として各地へ売られて行った

当市は 南北戦争前の30年間 最大の奴隷供給市場であった

タバコ栽培が衰退して行くと 不要になった奴隷たちは
深南部の砂糖・綿を生産する大農園へと転売されて行ったのも
リッチモンドの埠頭からであったという

こうした奴隷たちは1854年は月間10万人にまで達し
1859年までに50万人を超えた


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2007年になり 奴隷貿易のルートであった三都市に
和解記念碑が設立された

奴隷制廃止の記念碑である




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ジャンル : 学問・文化・芸術

筆不精だったシドニー・リー /六年ぶりに当ブログを再開

Category : いにしえのバージニアン達
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シドニー・スミス・リーの画像は こちら から拝借



数週間前のこと・・
朝日だったか読売だったかのネット新聞で 
ふと黒船来航(だったと思う)のヘッドラインを見かけた

こちら

咄嗟にシドニー・スミス・リーのことを想い出し
グーグル検索をしてみた

以前よりずっと情報が増えている!

新たに知ったのは
シドニーが無類の筆不精だったことだ

安否を気遣う母、 アン・カーター・リーや
弟のロバート・リーの促しの手紙による要請にも殆ど応えなかったようだ

若し 彼がロバート・リーのように筆まめであったら
当時の様子、 黒船、 航海中、 上陸時の模様・・等々
資料となる筆記が沢山残していただろうに~~ 

惜しいものだ~!


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画像は このサイ から拝借しました


グーグル検索中 
日本語版でも 「シドニー・スミス・リー>」 を探したら
この・・ 昔運営してた自ブログ、 「ポカホンタスの里」 がヒットした!

「ジェイムス河の畔・・」 などは断捨離の勢いで
最近になって閉めたのだが
こちらの方は頭からスッポリ抜けていたのだ

改めて ざっと目を通すと
下手くそで幼稚な文章や構成、 お粗末な内容に赤面してしまう

一方で・・
10年も前には地方史を調べてみる探求心 (好奇心?) 
があったこと、 それをまとめておこう、 とする意欲があったこと
などに我ながら 感心してしまった 

閉鎖してしまおう、 という気持ちはありながら
当時の努力とひたむきさを自賛、尊重?する意味で
未練がましくはあるが 残しておくことにした

が これまで通りの野ざらし状態では哀し過ぎる

当時から不人気のブログではあったものの
健全?な形で残しておきたい

それには・・
たまにであっても書き続けること!

そこで 6年ぶりの地味な復活となったというわけだ

ちなみに・・
ロバート・リーやシドニー等 関連記事は

こちら です (他頁にもありますが)


テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

六年ぶり

Category : 未分類
ご無沙汰いたしました

少しずつまた続けて行こうかな、 と思い始めております

どうなりますやら・・

のんびりとした 相変わらずの下手な文章のブログですが

またどうぞ宜しくお願いいたします

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

カーライル・ハウス ー 2

Category : いにしえのバージニアン達

ワシントンに日本から来られた方にはお馴染みのダラス空港は バージニア州の
フェアファックス郡境にあるが その郡の名はその昔 アメリカが独立する以前
この辺り一帯を所有していた英国人 フェアファックス卿に因んでいます

フェアファックス家の令嬢のひとりは やがてアレクサンダー市 (バージニア州) の
創始者のひとりであるジョン・カーライルに
嫁ぐことになるのですが そのふたりが住んだ家が これ ↓

現在は同市の観光スポットになっています


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テーマ : アメリカ合衆国
ジャンル : 海外情報

アテナイオン

Category : 史跡

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ギリシャ風のこの建物は 元々1850年代に建てられた銀行だったそうです


オールド・アレクサンドリアの一角にありますが
現在は同市の美術館の一部になっていて
写真や絵画の展示がなされている、 と聞きました


ADDRESS: 201 Prince Street, Alexandria, Virginia 22314





テーマ : アメリカ
ジャンル : 旅行

リー・フェンドル・ハウス

Category : いにしえのバージニアン達
Lee-Fendall House


Lee-Fendall House



ロバート・E・リーが育った家のほぼ真向かいにあるこの家は もともと
彼の父で独立戦争のヒーローとうたわれる 
ヘンリー・”ライト・ホース・ハリー”・リーの地所を そのいとこ、
フィリップ・フェンドールが購入、 建てたものでした

1785年建設、 といいますから リー兄弟 (兄は前回述べた、
黒船指揮官のひとり) はこの家の周りで遊んでいたことも考えられますね



Lee-Fendall House



南北戦争中、 特に1863~1865年の間は北軍が占拠、
軍病院として利用されていたそうです



Lee-Fendall House




米国労働組合の指導者として歴史に名を残したジョン・L・ルイスも
1937~1969年の間 この家に住んでいました

1880年生まれですから 57歳から住み始めたことになりますね

炭鉱夫たちを率いて賃上げストライキを行ったり
リーダーとして大活躍をしていた時期に過した家、 とも言えそうです



同氏に関この方のサイトに詳しく記されてます



Lee-Fendall House



ADDRESS: 614 Oronoco Street, Alexandria, Virginia 22314






テーマ : アメリカ
ジャンル : 旅行

クライスト教会

Category : いにしえのバージニア
Christ Church




1773年にジョン・カーライルによって建立されたこの教会はアレクサンドリアにある
最古の教会であり、 古くはジョージ・ワシントン、 そしてロバート・E・リーも
頻繁に礼拝に訪れたとされています



Christ Church



南北戦争時代に捕らえられこのアレクサンドリア市内にある牢でそのまま
死亡した南軍兵士32名の他、 ロバート・E・リーの兄で黒船で日本を1853年に
訪れたシドニー・スミスのお墓もこの教会内にあるそうです


フランクリン・ルーズベルト大統領とウィンストン・チャーチル
両氏が1942年1月1日、 世界平和祈願の日 
World Day of Prayer for Peace に
祈りを捧げた教会としても知られているということです

次回 チャンスがまたあったら 教会内外をもっと注意を払って見学してみたいものです



Christ Church




ナショナル・ヒストリック・ランドマークに登録されているこの教会の住所は以下の通り:

118 North Washington Street, Alexandria, Virginia






テーマ : アメリカ
ジャンル : 旅行

ロバート・E・リーに縁とゆかりのある家々

Category : いにしえのバージニアン達
リーの育った家


アレクサンドリア市 (607 Oronoco Street) にある ↑ の建物は
ロバート・E・リーが幼少時代を過した家だ、 と前回ご紹介しましたが、 もうひとり
日本に縁のある人物、 次兄、 シドニー・スミス・リーの育った家でもありました

シドニー・スミス・リーが何者か、 については以前も述べたことがありますが
米墨戦争の際の活躍ぶりを戦場で間近に見ていたマシュー・ペリーから 1853年の
黒船艦隊の旗艦、 ミシシッピ号の指揮を任せられた海軍中佐 (後 大佐=キャプテン) でした


  
ネットから拝借しました
(写真は こちら のウエブサイトから拝借しました)
(l. to r.) Commander Sidney Smith Lee, Captain Samuel F. DuPont, and Lieutenant David Dixon Porter, circa 1855.
(左から)シドニー・スミス・リー、サミュエル・デュポン、デービッド・ディクソン・ポーター 

1855年撮影といいますから 黒船で日本から帰還して間もなくの頃の撮影だと思われます


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そのリー兄弟の生家、  ↑ ストラットフォード・ホールです

ストラットフォード・ホール・プランテーションを訪れた時のレポ (こちら) には
ロバート・E・リーが四歳まで過ごした、 とだけで引越しの背景は詳しく述べませんでしたが
母、 アン・カーターの実家、 シャーリー・プランテーションを見学した時のレポ
には長たらしく書きましたのでご記憶の方もおられるとは思います



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その前にロバート・エドワード・リーを出した リー家の家系を再述しておきます

リー一族は独立宣言署名者をふたりも排出しているバージニアではエリート一家、
由緒ある家柄で リー兄弟の父親、  ライトホース・ハリー・リーもワシントン大統領葬儀では
代表で弔文を読んだり、 そして バージニア州知事を務めるほどの Who's Who 的存在でした





(リッチモンド市にある バージニア州知事公邸


先妻に先立たれ州知事として公邸に一人住まいをしていたライトホース・ハリーは
宴で知り合った これもバージニアでは大富豪として知られているカーター家の娘、 美貌の
アン・ヒル・カーターを見初め結婚を迫りました    ところが家柄こそ釣り合うものの
この時までに手当たり次第に借金を重ね続け信用を落とし切っていたリーは猛反対に合ってます

アン・ヒル・カーターが両親の言うなりになって ライトホース・ハリーの求婚を拒否していたら
南軍の名将軍、 ロバート・E・リーは 誕生しなかったことになるわけですが
なんとか無事結婚に辿り着いたライトホース・ハリー、 新妻、 アンを連れて前妻と
過ごした家ストラットフォード・ホール (前妻が亡父から相続) に戻って来ます

が間もなく背負った借金の返済が出来ず刑に服する事になりました

そこへ父親不在を知った前妻の長男が舞い戻って来た為  それまで三児の母となっていた
アン・カーター・リーですが 居辛くなったのか親類筋にあたるウィリアム・フィッツヒュー
(当人は接待の煩わしさを逃れ三軒目の別宅に居を構えてました - 詳細は
チャタム・マナー見学時のレポをどうぞ) にアレクサンドリアの
家を提供され子供達を連れて移って行きました

ロバート・E・リー兄弟を伴って母親 アンが前記の屋敷へ引っ越した理由です

(因みにフィッツヒューの本邸は ↓ チャタム・マナー
azusachatham007.jpg
チャタム・マナーに関しては拙ホームページにはさらに詳しく書いております



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リー将軍の借家 ↑ についてのレポは こちら です



時代が移り・・・南北戦争勃発後、 北軍の接近により アーリントン・ハウス に未練を残しながら 
追われる様にして ロバート・E・リーの妻とその家族は 南部連盟国の首府であったリッチモンド、 
ダウンタウンにあるこの借家に避難して来ました   そして南部が敗れた数日後に妻子の元へ
帰還した時のリー将軍の仮住まいの建物の写真を ↑ もう一度 載せて締めくくります



 こちら サイトから写真は拝借しました
ウエブサイトから拝借しました





テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

梓の小鳥

Author:梓の小鳥
アメリカ人なら歴史教科書に載ってる人名や地名でお馴染みだと思いますが 授業では多分教えられてない 秘話、裏話、こぼれ話を調べ集めたブログです
✩~✩
放置して早や六年
その間 HPも意志に反して消滅してしまいました
細々ながら再始を決めました。
あらためて宜しくお願いします

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