リッチモンド市の和解記念碑

Category : バージニアの黒人達の場合


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英国のリバプールといえば ビートルズのメンバー生誕の地
として知られているが
かつて奴隷貿易が行われた地であることを知ってる人は
多くないのでは。。。

アフリカのベナンと リバプール市、 そしてアメリカのリッチモンド市は
18世紀 奴隷貿易トライアングルと呼ばれた三地点だった


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👆 写真は こちら から拝借しました 👆


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ベナンから積荷として運搬!されて来た人たちは 
リッチモンドで降ろされた後 競売にかけられ 
奴隷として各地へ売られて行った

当市は 南北戦争前の30年間 最大の奴隷供給市場であった

タバコ栽培が衰退して行くと 不要になった奴隷たちは
深南部の砂糖・綿を生産する大農園へと転売されて行ったのも
リッチモンドの埠頭からであったという

こうした奴隷たちは1854年は月間10万人にまで達し
1859年までに50万人を超えた


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2007年になり 奴隷貿易のルートであった三都市に
和解記念碑が設立された

奴隷制廃止の記念碑である




テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

メドーファームの奴隷

Category : バージニアの黒人達の場合
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奴隷の反乱で後世に名を残したものは 
ナット・ターナー事件ですが
それより30年ほど前の1800年には リッチモンドでも 
ガブリエルという名のレンガ職工が 過酷な労働、重圧に耐えかね
 仲間の奴隷たちと農場主への反抗を企て 未遂に終わった一件がありました


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成功していれば 後年大統領となる当時のバージニア州知事
ジェイムス・モンローは人質として捕らえられ リッチモンド市は焼き落とされ
暴動は南部全体に拡大されていたかも。。。


ガブリエルによる一揆はそれに加わる筈だったファラオ
という奴隷が怖気づいて主人に届け出た事で発覚


首謀者30人以上が絞首刑となりました


そのファラオが働かされていたのが このメドーファームでした





テーマ : アメリカ旅行
ジャンル : 旅行

南部連合記念月間

Category : バージニアの黒人達の場合
 ダウンタウン リッチモンド この付近に奴隷市場が存在しました。。。



今から149年前 - 1861年の四月、 バージニア州は南部同盟国に加盟、
アラバマの モンゴメリーから連盟国首府は バージニアの リッチモンドへと遷都、
間もなく 南部戦争が勃発するわけですが、 来年の150年記念を前に
バージニア州知事ボブ・マクドネル氏が四月を 
『南部連合記念月間』 Confederate History Month 
とすると宣言を下しました。


が 存在していた奴隷制度に関してはひと項目も入ってなかった事から
物議をかもし出し 遂にはオバマ大統領までが介入するに至り、 
マクドネル知事は漸く、 重大な 『奴隷制』 に言及してなかった事を認め、 
改正を行う、 というひと騒動が最近ありました。  


改定された宣言書の要約は こちらのサイト に英語ですが記載されてます。

バージニアと奴隷・・・過去の爪跡は拭い去ることは出来ないでしょう


☆~☆~☆


追記:  冒頭写真は 南部連盟国州都だったリッチモンドのダウンタウンですが
かつて奴隷市場が存在したといわれる一角はこの標識の手前にあります




テーマ : アメリカ合衆国
ジャンル : 海外情報

Haxall 運河の水夫

Category : バージニアの黒人達の場合

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本題に入る前に カレント・ニューズをひとつ・・・

誤認逮捕された ゲイツ教授 のニュースが波紋を呼んでますが 
私が同教授の名と存在を知ったのは こちら のサイトに掲載
されてるように リンカーン大統領リサーチがテーマの番組でした。

ハーバード大学教授で地味ながらマスコミにも登場する
ゲイツ氏だからこそ、 そして 黒人大統領が誕生した2009年
だからこそ 取り沙汰されてますが、 これが公民権運動の前だったら
(そんな以前に遡らなくても 10~20年前だったとしても)
特に無名の黒人だったら  こうした事件は
もみ消されてしまっていた事だろうな、 と思いました。



7月29日 (2009)

写真 ↑ は こちら のサイトから拝借



アフリカ系アメリカ人は・・・マイノリティではあるものの
当然のことながら アメリカ史の一部として 長~い歴史を
歩いて来てるわけですが、 私の中では 『風と共に去りぬ』 の
様に 南部の大農園で働かされる奴隷としてのイメージしか
ありませんでした。   ところが最近になって別の発見をしました。


リッチモンドでは 18世紀後半 ジョージ・ワシントン構想を元に
(英語ですが こちら に詳しく載っております) 
その労働に携わったのは タバコ大農園の奴隷達でした。



タバコ栽培も需要が減少したため 不要となった奴隷たちを
農園主たちは 次々と運河の工事場へと出稼ぎに出しては
苦役を強い 分け前をはねたというわけです。


やがて開通した運河を   - 1830年代に鉄道による運輸が
盛んになり水路による運送が衰退するまで -   運搬人や
水夫として舟で行き来したのもこうした黒人だったようです。。。




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Kanawha 運河の一部、 Haxall 水路については以前ももうひとつ
の拙ブログに写真を載せてますので覗いて見て下さい、 こちら です。

(冒頭のと ↓ の写真はその記事に載せた写真の再使用)




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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

マンチェスター

Category : バージニアの黒人達の場合
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リッチモンド ダウンタウンからマンチェスター市 (現在は合併)
に行くには ジェイムス河にかかるマンチェスター・ブリッジを渡ります。

その昔 (18世紀の頃) 奴隷交易の場であった町でした。

アフリカから連れて来られた黒人たちが市場まで歩かされた
と言われる小道も残っていて 見学者も僅かながらいるようです

こちらで動画がみれます。



テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

バージニアとリベリアをつないだロット・キャリー

Category : バージニアの黒人達の場合

バージニアのネイティブ関係のブログの中に今日から 「いにしえのバージニアの人々」 も含めて行こう、と思いますので、宜しくお願いしま~す。

                     * * *

初回の人物は・・・ロット・キャリー。

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(写真は Christian History Institute のウエブサイト から拝借しました。)


無名に近い人。私も知らなかったんです。この人の存在。で、結論から書いてしまいますね。彼は1780年、リッチモンドから40キロ位大西洋に寄った現在のチャールズ・シティーに奴隷として誕生してます。

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(チャールズ・シティーはバージニア州の東海岸寄り、リッチモンドとウィリアムスバーグの中間にあります。)

1804年、主人からリッチモンドに出稼ぎに出されたロットは自由欲しさに無我夢中で働き、しかも爪に火をともすようにして貯金に励んでます。

ところで当時、プランテーションの経営が困難になりしかし人手はあり余っている事からオーナーが奴隷達を栄え出した市内の工場などの労働者として出稼ぎに出させるようになっていました。


ロットの場合も収入は全て主人の手に入ってしまう訳ですが、彼は時間外も働き続けその熱心さと仕事ぶりに勤務先であるタバコ倉庫の管理人がお駄賃を余分にくれたりしたんだそうです。

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(出荷がし易いようにジェイムス川沿いにたばこ倉庫が軒を並べていたと言われるタバコ・ローと言われる地区)

彼の場合、或る意味で幸運の女神が付いていたみたい。勿論苦労はしてるけどそれが報われてるんですよ。例えば・・・

1807年からリッチモンド市内にあるファースト・バプテスト教会に入会します。

コーンウォリスがヨークタウンで降伏、独立戦争に終止符が打たれる前年の1779年に設立されたこの教会に1812年、北部州ニュージャージーから牧師がやって来るんですが、このウィリアム・クレーン牧師は黒人に理解と同情を示す人で、彼らにバイブルの他に、読み書き・算数を教授し出してるんですね。

勤勉で信仰心が厚い彼自身牧師になります。そして残業手当などの報酬を一銭も無駄にせず蓄えた850ドルで自身と妻、そして子供の自由を買い取るのです。

一方、アメリカン・コロナイゼーション協会は1820年に解放奴隷たちの移植地を西アフリカに築き上げていました。これがリベリアの始まりです。勿論原住民が存在していた訳で、歴史の繰り返しです。

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リベリアは西アフリカにあります-

(地図は World Atlas からお借りしました。)


解放奴隷はプランテーション経営者である元主にとっては脅威だったみたいですね。19世紀初頭、黒人の総人口は二百万とか云われてます。 その内開放された自由黒人の数は二十万だったとか。叛乱を恐れたんでしょう、きっと。

同協会の会員は殆ど南部州の奴隷主だったとか・・・

ジェファーソン大統領はこの方針を1777年に既に提案してるんですね。そして初代の会長は(大統領)ジェイムス・モンローでした。だから、リベリアの首府は 「モンロ」 ビア、って云うんですって!

・・・で、ロットも牧師として、顧問として、そして医師として入植します。1822年の事でした。

当時のリビアでの彼ら黒人移民達は、捕獲しようとして虎視眈々としている白人奴隷商人や敵意を抱く原住民達からの護衛で苦悩が絶えないようでした。が、不屈のロットは、当地初の教会、プロビデンス・バプテスト教会を建設。 一時は総督の代理を務めたりの活躍をします。

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リベリアの国旗-

(ここでは、リベリアの不運や政治的な事は省き、ロット・キャリーの生涯だけをご紹介しています。)

・・・そして、1828年、外敵に備え銃の用意をしていた彼は思いがけない事故により僅か48才で人生の幕を降ろしました。

チャールズ・シティーには彼の栄誉を称えた標識を道端に建設、側の道路をロット・キャリーと命名しています。因みに先住民の一族、チカホミニー族はこの周辺を故郷としています。毎秋に催されるお祭り、パウワウは彼らの教会や学校のあるグラウンド (ロット・キャリー・ロード 沿いにあります!) で行われます。
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(写真の無断使用をお断りします)


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アメリカ人なら歴史教科書に載ってる人名や地名でお馴染みだと思いますが 授業では多分教えられてない 秘話、裏話、こぼれ話を調べ集めたブログです
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その間 HPも意志に反して消滅してしまいました
細々ながら再始を決めました。
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