バージニアとリベリアをつないだロット・キャリー

Category : バージニアの黒人達の場合

バージニアのネイティブ関係のブログの中に今日から 「いにしえのバージニアの人々」 も含めて行こう、と思いますので、宜しくお願いしま~す。

                     * * *

初回の人物は・・・ロット・キャリー。

cary.jpg



(写真は Christian History Institute のウエブサイト から拝借しました。)


無名に近い人。私も知らなかったんです。この人の存在。で、結論から書いてしまいますね。彼は1780年、リッチモンドから40キロ位大西洋に寄った現在のチャールズ・シティーに奴隷として誕生してます。

charlescitymap.jpg


(チャールズ・シティーはバージニア州の東海岸寄り、リッチモンドとウィリアムスバーグの中間にあります。)

1804年、主人からリッチモンドに出稼ぎに出されたロットは自由欲しさに無我夢中で働き、しかも爪に火をともすようにして貯金に励んでます。

ところで当時、プランテーションの経営が困難になりしかし人手はあり余っている事からオーナーが奴隷達を栄え出した市内の工場などの労働者として出稼ぎに出させるようになっていました。


ロットの場合も収入は全て主人の手に入ってしまう訳ですが、彼は時間外も働き続けその熱心さと仕事ぶりに勤務先であるタバコ倉庫の管理人がお駄賃を余分にくれたりしたんだそうです。

tabaccorow.jpg


(出荷がし易いようにジェイムス川沿いにたばこ倉庫が軒を並べていたと言われるタバコ・ローと言われる地区)

彼の場合、或る意味で幸運の女神が付いていたみたい。勿論苦労はしてるけどそれが報われてるんですよ。例えば・・・

1807年からリッチモンド市内にあるファースト・バプテスト教会に入会します。

コーンウォリスがヨークタウンで降伏、独立戦争に終止符が打たれる前年の1779年に設立されたこの教会に1812年、北部州ニュージャージーから牧師がやって来るんですが、このウィリアム・クレーン牧師は黒人に理解と同情を示す人で、彼らにバイブルの他に、読み書き・算数を教授し出してるんですね。

勤勉で信仰心が厚い彼自身牧師になります。そして残業手当などの報酬を一銭も無駄にせず蓄えた850ドルで自身と妻、そして子供の自由を買い取るのです。

一方、アメリカン・コロナイゼーション協会は1820年に解放奴隷たちの移植地を西アフリカに築き上げていました。これがリベリアの始まりです。勿論原住民が存在していた訳で、歴史の繰り返しです。

liberia.watlas.com.jpg


リベリアは西アフリカにあります-

(地図は World Atlas からお借りしました。)


解放奴隷はプランテーション経営者である元主にとっては脅威だったみたいですね。19世紀初頭、黒人の総人口は二百万とか云われてます。 その内開放された自由黒人の数は二十万だったとか。叛乱を恐れたんでしょう、きっと。

同協会の会員は殆ど南部州の奴隷主だったとか・・・

ジェファーソン大統領はこの方針を1777年に既に提案してるんですね。そして初代の会長は(大統領)ジェイムス・モンローでした。だから、リベリアの首府は 「モンロ」 ビア、って云うんですって!

・・・で、ロットも牧師として、顧問として、そして医師として入植します。1822年の事でした。

当時のリビアでの彼ら黒人移民達は、捕獲しようとして虎視眈々としている白人奴隷商人や敵意を抱く原住民達からの護衛で苦悩が絶えないようでした。が、不屈のロットは、当地初の教会、プロビデンス・バプテスト教会を建設。 一時は総督の代理を務めたりの活躍をします。

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リベリアの国旗-

(ここでは、リベリアの不運や政治的な事は省き、ロット・キャリーの生涯だけをご紹介しています。)

・・・そして、1828年、外敵に備え銃の用意をしていた彼は思いがけない事故により僅か48才で人生の幕を降ろしました。

チャールズ・シティーには彼の栄誉を称えた標識を道端に建設、側の道路をロット・キャリーと命名しています。因みに先住民の一族、チカホミニー族はこの周辺を故郷としています。毎秋に催されるお祭り、パウワウは彼らの教会や学校のあるグラウンド (ロット・キャリー・ロード 沿いにあります!) で行われます。
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(写真の無断使用をお断りします)


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Comment

こんばんは。
私はアメリカ史は浅学でしたので、記事を面白く拝見させて頂きました。

パトリシア・コーンウェルの検視官シリーズなら、私も読みました。
主人公の検視官ケイ・スカーペッタが魅力的でした。第一巻の台詞は今でも憶えています。
「死体は怖くない。怖いのは生きている人間だ」

コメントありがとうございました。

先日私のブログ(「歴史は面白い」)にコメントいただきありがとうございました。ブログ拝見しました。短期ですが、私もオレゴン州ユージーンに住んでいたことがあります。バージニア州は行ったことがないのですが、『検視官』シリーズは好きで何冊も読みました。それでリッチモンドのことも知ったりして……。世界史の授業は真剣に聞いていなかったもので、知らないことだらけですが、いろいろと参考になりました。これからもいろいろ教えてください。 

ブログの性質上、歴史に特化できませんが、たまに私の方も書いてみたいと思っています。お時間のある時にまたのぞいてみてくださいね。

コメント有難うございました。

私の様な地味なブログにおいで下さって感激です。

是非そちらへも伺わせていただきます。

今日はホントに有難う。励まされました。

mugi さん、ようこそ!

パトリシア・コーンウエルが無名時代に住んでいたアパートなどを紹介したリッチモンドの写真を載せてる私のHP、「輝け昭和の乙女たちよ」 のアルバムも除いてみて下さいね~!
http://showaladies.web.fc2.com
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アメリカン・ヒストリー

 以前、旧日本軍支配下のフィリピンについて記事を書いた方からトラックバックを頂いたので、私はフィリピンを支配下に置いたばかりのアメリカについて記したい。アメリカはもちろんだが、フィリピン人も米軍の虐殺の歴史には健忘症となってるかもしれない。  1898年12月
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アメリカ人なら歴史教科書に載ってる人名や地名でお馴染みだと思いますが 授業では多分教えられてない 秘話、裏話、こぼれ話を調べ集めたブログです
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その間 HPも意志に反して消滅してしまいました
細々ながら再始を決めました。
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