スポンサーサイト

Category : スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第五代目大統領、 ジェイムス・モンロー

Category : いにしえのバージニアン達


3643.jpg


バージニア州からはワシントン (初代) を含め8人も大統領
輩出してるのですが  そのひとりに ジェイムス・モンロー さんがいます


jmonroe.jpg

(ウィキペディアより拝借)



二年前に ブルーリッジ山脈 の麓にある彼のプランテーション、 
『アッシュローン・ハイランド』 を見学した頃は 正直言って 
この大統領の事は全く予備知識 (今現在もそのまま~) もありませんでした


その当時始めたばかりのブログに夢中になり モンローさんへの
関心は薄らいでしまい、 今回保存してあったファイルの
中から写真が出て来るまでは 忘れかけていました 


3645.jpg


もうひとつのブログの方にその写真を載せる事にしたので
平行して こちらへは モンローさんの人としてのプロファイルを
載せてみたいと思ったのですが・・・


これといって逸話めいたものも知らないままの情けない状態!


3635.jpg


↓ とりあえず ウィキペディアからピックアップした俄知識を~♪

①  モンロー氏は 1816~1824年まで二期を務めた大統領だった


②   モンロー主義 や ミズリー協定 で知られてる


(2008年2月発行されたコインの写真は ↓ こちらのサイトから拝借)


monroecoin.jpg


③  スペインからフロリダを獲得し 歴史上に名を残している

④  アフリカ、 リベリアの首都、 モンロビア は同大統領の名に由来してる


↑ の内   は非常に気になります 


3656.jpg


図書館で良い本を見つけて読んでみたいと思いました!

何か分かったら (自身の覚書としても) ブログにも
載せたいのでその節はまた宜しくどうぞ~♪


3659.jpg


それと   の方なんですが これは以前もアップした
ロット・キャリーの記事に繋がるものがありますね


なので是非こちらの方も知りたいなぁ、 と思ってます。   
いつのことになるか当てになりませんが・・・(苦笑)


もうひとつのブログにもっと写真を載せてみましたので宜しかったらどうそ!


jmonroelawoffice3.jpg


↑ はバージニア州のフレデリクスバーグにある法律事務所

同大統領が弁護士だった頃のもので、 現在は博物館になってます

撮影したのは矢張り二年前でした

*~*     *~*

中途半端な今日の更新、 お付き合い下さって有難うございました


→続きを読む

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

アンの実家、 シャーリー・プランテーション

Category : いにしえのバージニアン達

数あるプランテーションの中でも特に特権階級の
ジェイムス河プランテーションズ と複数で呼ばれる一群の大農園が
ジェイムス河沿岸に並んでますが、 その中でも先ず見学してみたかった
 『シャーリー・プランテーション』  に行ってまいりました



azusa4190.jpg




興味を抱いていた理由その1・・・
リッチモンド市に一番近いから~(笑)

その2・・・
『アン』 という女性の生家だったから、 です



azusa4189.jpg




『アン』 は父の杞憂をよそに父の客人、 
に恋をしてしまうのですが、 それは
妻に先立たれ三人の遺児を抱えたバージニア州知事でした



azusa4187.jpg





漸く許しを得てこの 『シャーリー』 で式を挙げたふたりは
リッチモンド市内の公邸が愛の巣となりました
州知事の任期が切れると同時に私邸に移り住むのですがその私邸とは・・・




azusa4191.jpg




ストラットフォード・ホール~!

先妻の生家だったのですけどこの州知事さん、
投機に何度も失敗し、 借金をしては返済しない人物として悪名高く
先妻さんも遺言状での相続人に夫の代わりに長男の名を残したほど!



azusa4192.jpg




アンの父君が反対したのも無理はなさそうですねぇ・・・



azusa4193.jpg




夫は積もり積もった借金の返済が出来ずに投獄されてしまいます
獄中生活を送っている中、 ひとり三男を出産したアンは
子供たちを伴ってストラットフォード・ホールを去り親戚を頼って
暮す人生を送る事になるのです



azusa4249.jpg




長男はアンの富裕な実家 (実兄) の援助でハーバードで
教育を受ける事が出来たんですが次男三男たちまで
甘えるには限界があったのでしょう

次男は海軍学校に進み・・・



azusa4211.jpg




後にペリー総督の黒船に乗船して下田に上陸します

はい、 あのシドニー・スミス・リーはアンの次男、 そして・・・


azusa4218.jpg



そしてウエストポイントの
陸軍士官学校へ進学した三男は・・・南軍将軍として名を馳せることになった
ロバート・E・リー、 だった、 というわけです~。


今日はそうした息子たちを育てた 『アン・ヒル・カーター・リー』 の
実家を写真でご案内してみました~♪

お退屈さまでした! 


テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

ルイスとクラーク

Category : いにしえのバージニアン達

シャーロッッビルの街をドライブしてた時、 
こんな銅像を見かけ走る車の窓からシャッターを切りました





放っておいたのだが、 ちょっとズームアップしてみたら
何と、 ルイス & クラーク と判って驚きました


lewisclarktrailmap.gif


このふたりはジェファーソン大統領の命を受けて
1804年から二年以上かけて西部探検を果たした
探検隊のリーダーです

同大統領もルイスもこのシャーロッッビルの出身でした


ジェファーソン大統領邸、 モンティチェロには
彼らの持ち帰った先住民の手作りの道具や装身具などが
飾られていたといいます

こんなビデオが見付かりました








モンティチェロがスライドショーで見られます

五枚目のスライドにご注目下さい~~♪


テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

リーと黒船

Category : いにしえのバージニアン達

ノーフォーク港 ↓






シドニー・スミス・リー ↓



ネットから拝借しました
こちら から拝借しました)



この二枚の写真の共通点は何でしょう?


日本 です~♪

彼はペリーの率いる蒸気艦で日本へ渡来した隊員のひとりでした


ぺリー司令官とノーフォークに関しては
もうひとつの拙ブログ 『ジェイムス河畔の街にて』 に
既述してますので宜しかったらどうぞ~。 こちら ← から。。。



↓ の地図と挿絵は 日本財団図書館のウエブサイトに から拝借しました。




perry.routetojapan.jpg



perryatpowhatan.jpg




スミス・リーはなんとあのロバート・リー将軍の次兄に当たる人物でした!


これを知ったのは ↑ ↓ の二冊の本。。。


3285.jpg



"Lady of Arlington"  ↑


"The Lees of Virginia"  ↓








この本によると彼はロバート・リー夫人や子供達に
日本からのお土産を上げてるんですね


リー夫人にはお盆、 令嬢たちには漆塗りの小箱やキモノ、
そして息子たちには凧、 だったとか。


こちら ← のサイトにペリーと日本の将軍が交換した
贈り物のリストが載っていましたが硯箱とありますねぇ・・
これかな?  令嬢たちへ上げたお土産。。。


凧はともかく、 お盆や小箱やキモノは今何処に保存されているんでしょう

気になりますね~♪



19世紀のアレクサンドリア



↑ の写真は19世紀のアレクサンドリア、 
バージニア州北東、 ワシントンに近い街です


リー兄弟が幼い頃住んでいた家もその街にあったそうです
アレキサンドリアはポトマック河沿いにあるので
ノーフォークも当時はおそらくこんな雰囲気だったんじゃないでしょうか


ところでリー兄弟の生まれた家は以前もご紹介したことのある
ストラットフォード・プランテーションです  ↓



stratford34.jpg




その時の記事はこちらです

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

鐘楼

Category : いにしえのバージニアン達

バージニア州議事堂のあるキャピタル・スクエアの一角に建つ
赤レンガの鐘楼・・・ 建てられたのは 1824年 (文政7年) 


capitol7269.jpg


南北戦争が始まって四年後の1865年
南部連盟の首府であったリッチモンド市への北軍の接近を
打ち鳴らした半鐘で市民に警告したのは
この監視塔であったと言われる



capitol7279.jpg




リッチモンドは北軍の手によって火薬庫が爆破され
火の海に包まれるが、 このベルタワーから僅か1ブロックという
近さに仮住まいしていた南軍総指揮官、 リー将軍夫人と娘達は
奇跡的に変った風向きで家も焼けることなく命拾いしている

将軍夫人、 メリー・カスティス・リーはワシントン大統領夫人の曾々孫

北軍が攻め入る前に大半の市民が避難・疎開しているにも拘わらず
メリーは南軍将軍夫人たるや負け犬の様に逃げ隠れは出来ぬとばかりに
友人たちや他の市民たちの懇願・説得にも耳を貸さずに
この貸家に引き留まった



0oldbelltower.jpg



( ↑ の写真はこちらのウエブサイトから拝借しました)


メリーは重症の関節炎やリウマチを患っていて杖や車椅子に
完全に依存しなければならぬ状態だったのも一因だった様だが・・。


戦火をこうして免れたその貸家は今でも保存されている
車で行ける距離なのにまだ訪れた事はない
物見胡散だがいつか見学してみたいものだ


資料: ①  ウエブサイト VCU Libraries Digital Collections

②  はこの本 ↓ 、 Lady of Arlington です

3285.jpg




テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

ロバート・E・リーとヘレン・ケラー

Category : いにしえのバージニアン達

最近読んだこの ↓ 本の女主人公、 といってもノン・フィクションであるが

意外なことを知った・・・


3285.jpg


あの偉大な南軍の将軍、 ロバート・E・ リーには生涯持ち家がなかったこと


stratford203.jpg



(女主人公、 メリーはリー将軍の妻で、 ワシントン大統領夫人の曾孫である)

それと・・・

もうひとつは長くなるので次回に回すことにして・・・


2669.jpg


 (撮影当時は修復中だったリッチモンド市、 モニュメント・アベニューに建つ銅像)



興味を抱いてネットでも調べてる内にもうひとつのマメ知識を得た

それは・・・

かの三重苦の人、 ヘレンケラーと繋がりがある
という事!

ヘレンの母、 ケイト・アダムズとリー将軍ははとこ同士であったというから驚いた

世間は狭いものである



relee0321.jpg


( ↑ の銅像は歴史博物館に展示されてたものです)


同将軍に関しては 既に載せてますので 
こちら と こちら をご覧になってくださいませ



テーマ : びっくりした~
ジャンル : ニュース

スコッチタウン

Category : いにしえのバージニアン達
guidebook40.jpg stjohnchurch.jpg


今日ご紹介するのはバージニア州、ハノーバー郡にあるスコッチタウンと呼ばれるプランテーション
-パトリック・ヘンリーの住んだ家です。 
Wikipedia によると 「自由を与えよ。然らずんば死を」という名文句を吐いてイギリスに対する抵抗運動を扇動し、アメリカに独立をもたらした、とあります。
(出典:フリー百科事典「ウィキペディア」)


写真右は後年語り草になったその演説を行ったセント・ジョン教会。 
リッチモンド市ダウンタウンにあります。 中央がスコッチタウン。 そして左がパトリック・ヘンリーです。


下の写真・・・バージニア議事堂をご紹介した時に載せた写真ですが再度登場・・・
両手を高く掲げるようにしてポーズをとってるのがそのパトリック・ヘンリー。

capitol07234.jpg

スコットランド系の彼が誕生した1736年には同郷スコットランドでジェイムス・ワットが生まれています。
後に蒸気機関の開発で有名になった人ですね。


日本では元文元年に当たり、本居宣長が1730年に、そして杉田玄白が1733年に誕生してる・・・という事がネットで検索してみて分かりました・・・。


さて彼は19才で結婚しています。新妻は僅か16才。
農園経営は楽ではなく住まいも火災で失ってしまったり災難続きでした。仕方なく妻の持参金代わりの奴隷六人を売った資金で商いを始めますけどこれも現金で払う人がいなくて潰れてしまいます。


幸い妻の実家がハノーバー・タバーンを営んでました。居酒屋というより旅客相手の宿といったところでしょうか。

秋晴れのこの日はご覧のように観光客がバスで来て行列作ってましたよ~。


honoverconty16.jpg


24才だったパトリックはそれを手伝うようになります。がお客相手の仕事柄、手の空く時間があったようで暇つぶしに覗いてみた裁判所が彼の運命をかえてしまうんですね。 
下の写真がそのハノーバー・コートハウスですがタバーンの真ん前にあるんです。


hanovercounty19.jpg


弁護士のやり取りに惹き付けられて入り浸りになり、父親の手を焼かせた勉強嫌いの彼が憑かれたかのように法律の本を読み始めたのだそうです。


こうして独学で弁護士となったパトリック・ヘンリーが35才で購入した家がこれ、スコッチタウン

(青字の部分をクリックしてみて下さい。写真に収められなかったキッチンの内部などが見られますよ。)


hanovercounty030.jpg


hanovercounty9.jpg


hanovercounty40.jpg


タバーンでのガイド・ツワーを省いた私たちはさっき会った観光客よりひと足先にスコッチタウンに到着。車で10分くらい田舎道を走ったでしょうか? 我々夫婦含めて4カップルについてくれたガイドさんは、「歴史大好き、人に会うのも大好きだからこの仕事は天職よ~」 と朗らかなおばあちゃん。


そのおばあちゃんガイドさんにチョッピリお目玉をくってしまいましたよ~。 その原因となったのがこの写真。 室内は撮らないこと、とは常識で判っていたものの地下室のドアが開いてたたんですもの~!


hanovercounty4.jpg


(地下室の内部です。)

(下の屋敷全景の写真を見て下さいね。正面玄関より右寄りに三角屋根の下にアーチ型の入り口が見えますでしょ? それが地下室の入り口でドアが開いてたんですもの・・・。)


hanovercounty3.jpg


何故そうまでして写真に収めたかったかと云うとですね、パトリックの妻が地下室に閉じ込められて暮らしていたからなんです。どうもブルック・シールズも罹ったと云われるポスト・ネイタル・デプレッション (産後鬱病) だったようです。真相は不明のままですが。


6人の子供を産んだ後発病した彼女は次第に暴力的になって行って対処に困ったパトリックは奴隷ひとりをつけて地下室に軟禁した、と読んだ事があるので関心を寄せてたんです。どんな様子だったんだろう、って。それでシャッターを押しちゃったんです。反省しまてます・・・。


しかも、地下室は地下室でも折角撮った写真、思ってた部屋じゃなかったんです。この屋敷全体の地下は9室ある部屋に分かれていて写真で  -やっぱり撮っておいて良かったかなぁ-  上の写真でお分かりの様に各部屋の隅に暖炉もあります。 半窓も付いてて真っ暗ではありませんでした。 床は煉瓦が敷いてありましたけど当時は土間だったとか。


hanoverocunty8.jpg


彼女の閉じ込められていた部屋は正面から見た左側の地下室でした。

hanovercounty6.jpg


この白い両開きドアを入って左側です。
 また右の階段の上のドアは食堂の入り口。当時は火災の心配から母屋の外にあったキッチン?から運んで来たんですって、食事の度に。

hanovercounty7.jpg


母屋の脇にあった炊事所 (キッチン)。二階には炊事専門の奴隷が住んでいたそうですが夏はさぞ暑かっただろう、とガイドさん。内部の写真は・・・ゴメンナサイ!

hanover01.jpg


アイスハウスと呼ばれる小屋。その中には冬に張った氷を夏まで貯蔵しておくドライウエルがあり日本では氷室(ひむろ)と呼ばれていたとJijiさんのブログで学びました。

ウエルは井戸の事ですがドライと云うように水がなく穴だけ掘ってあり夏期に食品を冷やしておくのに使用したそうです。


hanovercounty2.jpg


この建物は謂わば書斎。現在は見学者にパトリック・ヘンリーの生涯を簡単に紹介するビデオを見せるのに使用してます。


言い忘れそうになりましたが、このスコッチタウンは第四代大統領ジェイムス・マディソン夫人、ドーリーが育った家でもあります。ヘンリー家とは親戚関係だったと云う事です。

実はパトリック・ヘンリーに関しては私、HP 「いにしえのバージニアンたち」 で3ページに渡って紹介してますので若し興味のある方はそちらをご覧になって下さるととっても嬉しいのですが~。


パトリック・ヘンリー (1)(2)(3)

上の番号をそれぞれクリックしてみて下さいね。

プロフィール

梓の小鳥

Author:梓の小鳥
別名: Azky

バージニアとその先住民やいにしえの人々の事を綴ってます。


管理人のブログ
『ジェイムス河畔の街にて』

はバージニア紹介ブログです。 

コメント、ご意見、ご感想は其方へお願いします♪



そしてHP,

「バージニアのポカホンタス」 

「いにしえのバージニアン達」
 にもどうぞお立ち寄りくださいね ♪

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。