リー・フェンドル・ハウス

Category : いにしえのバージニアン達
Lee-Fendall House


Lee-Fendall House



ロバート・E・リーが育った家のほぼ真向かいにあるこの家は もともと
彼の父で独立戦争のヒーローとうたわれる 
ヘンリー・”ライト・ホース・ハリー”・リーの地所を そのいとこ、
フィリップ・フェンドールが購入、 建てたものでした

1785年建設、 といいますから リー兄弟 (兄は前回述べた、
黒船指揮官のひとり) はこの家の周りで遊んでいたことも考えられますね



Lee-Fendall House



南北戦争中、 特に1863~1865年の間は北軍が占拠、
軍病院として利用されていたそうです



Lee-Fendall House




米国労働組合の指導者として歴史に名を残したジョン・L・ルイスも
1937~1969年の間 この家に住んでいました

1880年生まれですから 57歳から住み始めたことになりますね

炭鉱夫たちを率いて賃上げストライキを行ったり
リーダーとして大活躍をしていた時期に過した家、 とも言えそうです



同氏に関この方のサイトに詳しく記されてます



Lee-Fendall House



ADDRESS: 614 Oronoco Street, Alexandria, Virginia 22314






テーマ : アメリカ
ジャンル : 旅行

ロバート・E・リーに縁とゆかりのある家々

Category : いにしえのバージニアン達
リーの育った家


アレクサンドリア市 (607 Oronoco Street) にある ↑ の建物は
ロバート・E・リーが幼少時代を過した家だ、 と前回ご紹介しましたが、 もうひとり
日本に縁のある人物、 次兄、 シドニー・スミス・リーの育った家でもありました

シドニー・スミス・リーが何者か、 については以前も述べたことがありますが
米墨戦争の際の活躍ぶりを戦場で間近に見ていたマシュー・ペリーから 1853年の
黒船艦隊の旗艦、 ミシシッピ号の指揮を任せられた海軍中佐 (後 大佐=キャプテン) でした


  
ネットから拝借しました
(写真は こちら のウエブサイトから拝借しました)
(l. to r.) Commander Sidney Smith Lee, Captain Samuel F. DuPont, and Lieutenant David Dixon Porter, circa 1855.
(左から)シドニー・スミス・リー、サミュエル・デュポン、デービッド・ディクソン・ポーター 

1855年撮影といいますから 黒船で日本から帰還して間もなくの頃の撮影だと思われます


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そのリー兄弟の生家、  ↑ ストラットフォード・ホールです

ストラットフォード・ホール・プランテーションを訪れた時のレポ (こちら) には
ロバート・E・リーが四歳まで過ごした、 とだけで引越しの背景は詳しく述べませんでしたが
母、 アン・カーターの実家、 シャーリー・プランテーションを見学した時のレポ
には長たらしく書きましたのでご記憶の方もおられるとは思います



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その前にロバート・エドワード・リーを出した リー家の家系を再述しておきます

リー一族は独立宣言署名者をふたりも排出しているバージニアではエリート一家、
由緒ある家柄で リー兄弟の父親、  ライトホース・ハリー・リーもワシントン大統領葬儀では
代表で弔文を読んだり、 そして バージニア州知事を務めるほどの Who's Who 的存在でした





(リッチモンド市にある バージニア州知事公邸


先妻に先立たれ州知事として公邸に一人住まいをしていたライトホース・ハリーは
宴で知り合った これもバージニアでは大富豪として知られているカーター家の娘、 美貌の
アン・ヒル・カーターを見初め結婚を迫りました    ところが家柄こそ釣り合うものの
この時までに手当たり次第に借金を重ね続け信用を落とし切っていたリーは猛反対に合ってます

アン・ヒル・カーターが両親の言うなりになって ライトホース・ハリーの求婚を拒否していたら
南軍の名将軍、 ロバート・E・リーは 誕生しなかったことになるわけですが
なんとか無事結婚に辿り着いたライトホース・ハリー、 新妻、 アンを連れて前妻と
過ごした家ストラットフォード・ホール (前妻が亡父から相続) に戻って来ます

が間もなく背負った借金の返済が出来ず刑に服する事になりました

そこへ父親不在を知った前妻の長男が舞い戻って来た為  それまで三児の母となっていた
アン・カーター・リーですが 居辛くなったのか親類筋にあたるウィリアム・フィッツヒュー
(当人は接待の煩わしさを逃れ三軒目の別宅に居を構えてました - 詳細は
チャタム・マナー見学時のレポをどうぞ) にアレクサンドリアの
家を提供され子供達を連れて移って行きました

ロバート・E・リー兄弟を伴って母親 アンが前記の屋敷へ引っ越した理由です

(因みにフィッツヒューの本邸は ↓ チャタム・マナー
azusachatham007.jpg
チャタム・マナーに関しては拙ホームページにはさらに詳しく書いております



releehouse3766b.jpg
リー将軍の借家 ↑ についてのレポは こちら です



時代が移り・・・南北戦争勃発後、 北軍の接近により アーリントン・ハウス に未練を残しながら 
追われる様にして ロバート・E・リーの妻とその家族は 南部連盟国の首府であったリッチモンド、 
ダウンタウンにあるこの借家に避難して来ました   そして南部が敗れた数日後に妻子の元へ
帰還した時のリー将軍の仮住まいの建物の写真を ↑ もう一度 載せて締めくくります



 こちら サイトから写真は拝借しました
ウエブサイトから拝借しました





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ジャンル : 学問・文化・芸術

リーの育った家

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バージニア州 アレクサンドリアにあるリー将軍の育った家


「ウエストポイント入学の時が来てロバート・E・リーは彼が
こよなく愛したこの家を去った。

アポマットックスの戦いの後 帰宅した彼は 
「スノーボールが咲いているか」 見たくて塀をよじ登った。




リーの育った家


(覗いてみましたが スノーボールは見えず 代わりに百日紅が咲いてました)



リーの育った家



この家にはウィリアム・フィッツヒュー邸だった頃
ジョージ・ワシントンも食事に招かれている。

フィッツヒュー氏はリーの親類でしかもリー夫人には祖父にあたる人である。 
 
1924年にはラファイエットもこの家を訪れている。」

(下手な訳ですが。。。)




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続きます

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プレジデント・デー

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アメリカは二月の第三月曜は祭日、 『プレジデント・デー』 です。

大統領ふたり ジョージ・ワシントン (2月22日) と
アブラハム・リンカーン (2月12日) の生誕を称える日。

リンカーン大統領は南北戦争に破れ 焦土と化した南部連合国の首都、
リッチモンドへ視察に訪れている、 という関連性?こそあれ
バージニア出身ではないのですが、 第一代目大統領のワシントンは当州生まれ。

同大統領に関しては 拙ホームページに纏めてありますので
こちら をクリックして頂けたら嬉しいです。


☆~☆


アーリントン・ハウスの方は都合により次回へ・・・いずれまた。


テーマ : アメリカ合衆国
ジャンル : 海外情報

ロバート・カーター三世の屋敷 - 2

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同屋敷は 宮殿が完成するまでの仮の総督邸として利用された後 
1761年に植民地議会儀員になった カーター三世がオーナーになってます。


この家で6人の子宝に恵まれ 一見幸福そのものの大農園主、 
カーター夫妻は 親しい人たちを招いての晩餐会を開くのを好み 多くの
ゲストの中には 三世と三歳違いのジョージ・ワシントンの顔も見られたとか。  




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個人として最多数の奴隷を解放したことで 後世 知られる事になる同氏。

皮肉な気がしないでもないのですが・・・  
英国王派のために戦おうとする奴隷には自由を与えることを約束した  
( 「ダンモア宣言」 )  当時の総督ダンモア卿  (バージニア植民地に
おける最後の総督)  とも気が合わなかったということです。



選挙に当選するのには 賄賂が必要という 政治社会に 嫌気が差し
 12年後には この家を売りに出してしまいました。

政治家としては潔癖過ぎたのかも知れません。



 



余談ですが・・  上の写真は   (ネットで捜したサイトから 拝借)
カーソルを当てると ソックリさんが 現れます。

アメリカン・アイドルという歌合戦?で かつて挑戦者として喉を競った 
エース・ヤングという若者~ (写真はネットのサイトから再び 拝借)  
瓜二つ、  驚くほど似てませんでしょうか~~?  

カーター氏の事を書くに当たって 参考にした本、
 『ザ・ファースト・エマンシペター』 、映画にでもなったら
 是非この人意外に適役はない!  と勝手に思い込んでるほど 
生き写し、 に私の目には写るのですが・・・


 

テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

大統領就任式ーウィリアム・ハリソンの場合

Category : いにしえのバージニアン達

20日 愈々オバマ氏が第44代大統領として就任しますが
就任式で2時間にも及ぶ長い演説をし風邪をこじらせて僅か
ひと月で亡くなってしまった大統領がいます。

バージニア出身、 九代目のウィリアム・ハリソン大統領でした。

バージニア州議事堂内の胸像 ↓ )


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アメリカにはその死因を 『ムセの呪い』 と結びつけて 
長い間語られている様で 私も人から聞いて知ったんですよ。


拙HPにも (こちら ←です)  ダラダラと幼稚な文で書いてます。


HPでは 『テムセ・・・』 と表記してしまってますがこちらの辞書で 
調べてみたらタカムシーと発音してる様ですね。

先住民の呼び名は発音が難しいです。。。


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秋に訪れた 『バークレー・プランテーション』  ↑ ↓



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同大統領は此処で生まれました。。。



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ジャンル : 学問・文化・芸術

第五代目大統領、 ジェイムス・モンロー

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バージニア州からはワシントン (初代) を含め8人も大統領
輩出してるのですが  そのひとりに ジェイムス・モンロー さんがいます


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(ウィキペディアより拝借)



二年前に ブルーリッジ山脈 の麓にある彼のプランテーション、 
『アッシュローン・ハイランド』 を見学した頃は 正直言って 
この大統領の事は全く予備知識 (今現在もそのまま~) もありませんでした


その当時始めたばかりのブログに夢中になり モンローさんへの
関心は薄らいでしまい、 今回保存してあったファイルの
中から写真が出て来るまでは 忘れかけていました 


3645.jpg


もうひとつのブログの方にその写真を載せる事にしたので
平行して こちらへは モンローさんの人としてのプロファイルを
載せてみたいと思ったのですが・・・


これといって逸話めいたものも知らないままの情けない状態!


3635.jpg


↓ とりあえず ウィキペディアからピックアップした俄知識を~♪

①  モンロー氏は 1816~1824年まで二期を務めた大統領だった


②   モンロー主義 や ミズリー協定 で知られてる


(2008年2月発行されたコインの写真は ↓ こちらのサイトから拝借)


monroecoin.jpg


③  スペインからフロリダを獲得し 歴史上に名を残している

④  アフリカ、 リベリアの首都、 モンロビア は同大統領の名に由来してる


↑ の内   は非常に気になります 


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図書館で良い本を見つけて読んでみたいと思いました!

何か分かったら (自身の覚書としても) ブログにも
載せたいのでその節はまた宜しくどうぞ~♪


3659.jpg


それと   の方なんですが これは以前もアップした
ロット・キャリーの記事に繋がるものがありますね


なので是非こちらの方も知りたいなぁ、 と思ってます。   
いつのことになるか当てになりませんが・・・(苦笑)


もうひとつのブログにもっと写真を載せてみましたので宜しかったらどうそ!


jmonroelawoffice3.jpg


↑ はバージニア州のフレデリクスバーグにある法律事務所

同大統領が弁護士だった頃のもので、 現在は博物館になってます

撮影したのは矢張り二年前でした

*~*     *~*

中途半端な今日の更新、 お付き合い下さって有難うございました


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プロフィール

梓の小鳥

Author:梓の小鳥
アメリカ人なら歴史教科書に載ってる人名や地名でお馴染みだと思いますが 授業では多分教えられてない 秘話、裏話、こぼれ話を調べ集めたブログです
✩~✩
放置して早や六年
その間 HPも意志に反して消滅してしまいました
細々ながら再始を決めました。
あらためて宜しくお願いします

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